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島田村塾 活動記録 2013年7月 イスラエル訪問

2013年5月22日

これからのビジネスとリベラルアーツ:
なぜ広域地中海文化圏の古代史なのか?
(島田村塾 世界探訪project 2013)

島田晴雄 (島田村塾塾長)

Ⅰ. はじめに

Ⅱ. これからのビジネスとLiberal Arts

これからのビジネス

 −小さくなる日本:ビジネスの国際展開、浸透不可避
 −これからはsolution businessが基本
 −信頼構築が前提
 −背景の理解必要

日本ビジネスの特殊性
- 例:サウジの商社マン
  • 2〜3年で帰国。歓迎されるが浸透できず。
- 欧(米)先進国の付き合い方
  • 10〜20年単位で浸透
  • 英国幹部教育の要諦:
    歴史と地理 帝国主義支配の経験と知恵
  • ちなみにOx, Bridge:
    神学、哲学、歴史、地理、→→→ 経済、工学
LA(教養)教育のすすめ
- 戦前日本のエリート大学(帝大、一部私学)には教養(LA)教育
  • 世界歴史、文化、宗教の理解の努力
  • 日本の歴史、伝統の理解も、
    →皇国史観、戦争に利用されたのは残念。
- 戦後日本の世界理解と教育の浅さと偏り
  • ギリシャ→ローマ→暗黒の千年→ルネサンス→産業革命→
    大英帝国→Pax Americana → アメリカ礼賛の歴史観
  • LA(教養)教育の欠落:教養学部 → 一般教養(語学、体育、一般教養)
- 何が求められているのか
  • 支配ではない
  • 世界のbusiness partnersとの信頼と共生
  • そのためには背景(歴史、文化、価値観、宗教)の理解不可欠
  • 自己認識と他者のperception (perception gap)の理解必要

Ⅲ. なぜ広域地中海文化圏の古代史を学んだのか?

1. 一神教の世界
(1)日本人に馴染み難い一神教
  • 一神教(万物の創造主) vs 多神教(万物に宿る八百万の神々)
    形し上学的絶対の存在 vs シャーマニズム原始信仰
  • 戒律の厳しさ vs 比較的緩やかな戒律
    ラマダン、食餌制限
  • 排他性 vs 寛容性
    異教徒を排除、宗教戦争、十字軍 vs 釈迦の慈悲の教え、神道の自然崇拝
    日本人の宗教観:多宗教許容?
(2)ユダヤ教
  • 唯一神、万物の創造主
  • メサイアと選民思想
  • 教典『トーラー』、キリスト教の旧約聖書に影響
  • イエス・キリスト処刑の原罪
  • ユダヤ人(イスラエル)2000年に及ぶ迫害と非差別の歴史
    選民思想とイエス処刑の原罪:だけで説明できるか?
(3)キリスト教
  • 神が人類を救うために遣わしたイエス・キリスト
  • “神と子と精霊の名において”
    神の擬人化
  • 『旧約聖書』(ほとんどトーラーのコピー?)と『新約聖書』(キリスト後)
  • イエス・キリスト布教から急速に浸透、
    ローマ帝国キリスト教を国教に
    ヨーロッパ、アメリカなど世界に普及
  • 現在、欧米中心に信者20億人? 世界最大の宗教
(4)イスラム教
  • モハンムド、アッラー(神)のお告げを伝達
  • 弟子達がお告げの言葉を編纂 『コーラン』650年頃
  • 神は神、擬人化許さず、偶像崇拝厳禁
  • 厳しい戒律 ”コーランか死か”
  • シャリア(イスラム法)にもとづくgovernance:
    例:イスラーム帝国(アッバース朝)、8世紀から12世紀、50以上の民族束ねる
  • 正統教典は、コーランの口伝(アラビア半島の方言)
  • 現在14億人、自然増(出生率)と改宗増で、20〜30年後には最大人口へ
    スンニ派(モズレム人口の9割)とシーア派(小数派)
  • 宗教優位の独特な統治体制(原理主義:例:イランと世俗主義:例:トルコ)
  • 独特なイスラーム金融(利子を認めない)
(5)宗教と世界史の展開
  • 1〜8世紀:キリスト教地域の拡大(ローマ帝国)
  • 8〜12世紀:イスラーム諸国と勢力の急拡大
  • 14〜17世紀:キリスト教国の発展、拡大
    参考:”版図の変遷”
  • 宗教が民族と国家の重要な凝集原理、編成原理
2. 村塾での研究の成果
  • 鹿島氏(9/20):「トルコ」
    さらに世界50カ国の人口、経済データ
  • 宮内氏(10/17):「オスマン帝国
  • 松村氏(10/17):「旧約聖書」
  • 岩氏(11/1)「西ローマ帝国」
  • 安氏(11/27)「ユダヤ(迫害の歴史)」
  • 鈴木氏(1/24)「コーラン」
  • 大西氏(2/12)「アラブの春」
  • 山田氏(3/7)「東ローマ帝国」
  • 庄司氏(3/19)「新約聖書」
  • 青柳氏(4/23)「イスラーム帝国」
世界主要文化圏の歴史年表
  • 福田氏:エジプトから現代アラブまで
  • 野原氏:ギリシャ、ローマ、中世から大英帝国、アメリカ
  • 小野木氏:中国
  • 吉田氏:天皇と日本史年表
  • 古屋氏:インド
    ほかに『世界史図説タペストリー』
  • 横山氏:チグリス・ユーフラテスから小アジア、中央アジア
3. 現代の理解にどうつながるか
(1)現代世界の地政学
  • 中東古代史の研究が現代理解にどうつながるか、何の意味をもつか?
  • 歴史を現代からさかのぼって考える
    歴史の展開(evolution)を理解することは、これからを考える手がかりになる。
  • 現代世界:パックスアメリカーナ:第二次大戦後の世界システム
    新興国の台頭とアメリカの揺らぎ、アジアの重要性↑
  • 冷戦時代:PA資本主義市場経済体勢  vs ソ連中心共産主義体勢
  • 戦前:PB(大英帝国)覇権と非覇権国、植民地
(2)二つの世界大戦:帝国主義の覇権闘争
  • 第二次大戦:枢軸国(ドイツ、日本、イタリー)対連合国
     第一次大戦後の賠償負担など国内不満を吸収したヒットラーの急進帝国主義の侵略を契機としたが、帝国主義の最後の覇権闘争。
  • 第一次大戦:英仏帝国主義に対する後発ドイツ帝国主義の覇権、植民地獲得闘争。大戦後の植民地再定義、とりわけ中東地域の線引き。
(3)西欧文明の発展:
  • 帝国主義(19〜20世紀)
     ー技術と統治の優位性とテコに世界の領土と資源(石油)を支配。
     ー大久保利通の脅愕と過剰反応(内務省から日本帝国へ)
  • 植民地主義時代(18〜19世紀)
     ー植民地獲得競争、英仏によるアフリカ、中東、アジア
     ー新勢力(英仏)が旧勢力(スペイン、ポルトガル、オランダを凌駕
  • 産業革命(19世紀:石炭革命、20世紀:石油革命、21世紀:情報革命)
     ー産業革命による技術進歩、生産性向上は常に市場拡大を要請する
     ー英国産業革命、英国による市場確保は必然の帰結。
       大英連邦(common wealth: インド、カナダ、AST 、NZなど)
       植民地:アフリカ、中東、アジア。
  • 大航海時代(16〜17世紀)
     ー航海術の発達と欧州諸国の世界への関心の高まりの下で、ポルトガルやスペインのパイオニア達が新天地、新大陸を求めて遠征航海。
     ー植民地獲得の準備段階、また、欧州のキリスト教圏がイスラーム勢力を大きく凌駕することになって歴史的象徴。
(4)イスラーム文明主導の1000年
  • アラビア半島から発祥し、カリフ諸国を経てイスラーム帝国(ウマイヤ朝、アッバース朝(7〜12世紀)、オスマン帝国(12〜19世紀)
  • とりわけ、アッバース朝イスラーム帝国は人類の文明が大きく進んだ歴史的最盛期。イベリア半島から中央アジアまで。ローマ帝国の版図を大きく上回る。50以上の民族を束ねて管理。
    数学、天文学、航海術(地中海、アラビア海、インド洋を支配。農業、都市計画と建設。
(5)古代文明:エジプト、インド、ギリシャ、ローマ、中国
4. 世界史観を磨く
(1)なぜイスラーム文明は西欧文明に凌駕されたのか?
(2)技術・情報革新と人間・社会組織
  • 人間・社会組織の例:社会主義計画経済 vs 資本主義市場経済
(3)社会変革と世界史変化をどう考えるか
  • 社会体制の変遷
        中世の封建制
        絶対王制
        民主主義
        社会主義
        資本主義
  • アラブの春とは?
        部族制からオーナー型王制
          石油収入を配分、選挙権不要?
        情報化、民主化の欲求
        背景に若年人口急増、失業
(4)世界史の変容をどう理解するか
  • Paul Kennedy "Rise and Fall of Great Powers Economic change and military conflict:
    from1500 to 2000"(1987)

     ー大国の興亡:大国は経済発展を受けて軍事大国になる。軍事大国の重圧に耐えかねて経済が崩壊。スペイン、オランダ、イギリス、などの経験則。ソ連崩壊を予測したとして注目。1970年代に退潮したアメリカの1990年代の復活は例外か?
  • Francis Fukuyama "The End of History and the Last Man"(1992)
         世界史で人類が経験した多様な体制の意味を検討したうえで、リベラルな民主主義はそれ自体が歴史の終わりか?
  • Karl Marx "Das Kapital"(1867年:第一巻刊行)
    • 産業革命下の英国そしてドイツなどの経済変化を観察。工業化の進展にともなう社会格差の拡大は資本主義下では不可避と結論。
    • その理論化。経済の本源的価値は労働価値(労働価値説)。労働の使用価値と交換価値の乖離。労働者は労働の使用価値で評価(賃金)。資本家は交換価値で商品を売買。その乖離の”剰余価値” が資本蓄積の源泉。思想や体制は上部構造。下部構造(経済)がすべてを決める。
    • 格差拡大が必然の経済体制はやがて不安定化。労働者の団結と闘争が歴史の進展(資本主義の自己崩壊)を早める。
    • レーニンが後に、マルクス理論を援用してロシアにボルシェビキ革命を指揮。第一次大戦後に共産主義国家を実現。
  • Max Weber "Die Protestantische Ethik undder Geist des Kapitalismus"(1920)
    (『プロテスタンティズムと資本主義の精神』)
    • 儲けを求める利潤動機が資本主義の核心とされるが、それは古代インド、中国をはじめ、多くの時代、地域、宗教の下に見られる。
    • しかし資本主義が発達した時代のドイツ、オランダ、イギリスなどはプロテスタンティズムの影響下。もっとも禁欲的、自己抑制的宗教心の浸透した地域に、どうして資本主義が育ったのか。
    • 資本主義のエートスとは何か、そこから追求。
    • 社会変化の原理に迫る。
  • Arnold J.Toynbee "A Study of History"
    • 着想は1921年、1934年から1654年にかけて陸続と出版 全13巻 6000頁
    • 歴史研究の世界遺産ともいうべき古典
    • トインビー氏は、楽観主義の支配したvictoria時代にうまれ、第一次世界大戦を経験して、近代西欧文明もまた、彼が専攻したヘレニック社会と同様の運命を辿るのかとの疑問。その根本関心から歴史を考察。
  • Jawaharlal Nehru(ジャワハルラール・ネルー)"Glimpses of World History"(1934)
    • 投獄された3年間(1930〜1933)に娘のインディラに宛てた196の書簡
    • ヘレニズムから現代まで、インドはもとより世界全体の歴史を考察
    • インドの知性が捉えた世界像、次世代に告げたいものの見方。珠玉の歴史観察
  • 福澤諭吉『文明論の概略』(1875)
    • 明治初年に幕府使節団の通訳として約1年半の欧米視察をふまえた名著。
    • 帝国列強の実情をつぶさに観察、日本が彼らに伍して植民地化されずに生きていくための本質を考察。
    • 「文明とは結局、人の知徳の進歩」
      「文明は一国人民の知徳を外に顕したる現象なり」
    • 智には小智と大智、徳には私徳と公徳。
    • 文明とは人民がもつ知徳の総量。
(5)そして今、世界の重心はアジアへ?

Ⅳ. 世界史の縦糸ーイスラエル

1. 古代から現代、そして現在に至るまで世界史の縦糸
(1)イスラエルは世界史の縦糸。
  • ユダヤ人への偏見と差別、イスラエルの苦難と葛藤そして努力の歴史を見ると、それを惹起し内包した世界の軋轢、闘争、戦争、など世界史が縦に眺望できる。
(2)一神教の始祖(古代)
  • イスラエルの先祖のユダヤ人達が世界史で最初の厳格な一神教を創始。万物の創造主という哲学的、形し上学的存在を措定。
  • これが、後のキリスト教、イスラーム教発祥と普及の端緒となる。
(3)エルサレム:宗教と勢力の葛藤と変遷の歴史(中世)
  • エルサレム:
      ーユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地
      ー3000年前に建都
         支配者:ユダヤ、ローマ帝国支配、イスラム教(アラブ)、
         キリスト教十字軍、オスマン帝国、大英帝国、イスラエルへ
(4)帝国主義と大戦の狭間:怨念と紛争の坩堝(近世)
  • 偏見と差別そしてボグロムのような弾圧に苦しんだユダヤ人が祖国を求める運動(シオニズム)を推進。
  • 大英帝国は、第一次大戦後、フランス、アラブ、ユダヤ人に対する3枚舌外交でシオニズムを翻弄。ロスチャイルド家らの支援もあり、欧州を脱出したユダヤ人がパレスチナに入植。現代イスラエルの建国。
  • 周辺諸国から激しい攻撃。原住民のパレスチナ難民化。火薬庫中東の不安は世界政治の不安に。
(5)冷戦時代そしてテロ時代の火薬庫(現代)
  • 建国後20年を生き抜いて第三次中東戦争(1967年)で勝利したイスラエルをアメリカは冷戦戦略に一環として支援。その後、アメリカ国内のユダヤ人勢力にも配慮して支援強化。アメリカ外交戦略の柱に。
  • 冷戦後を象徴するテロ時代。パレスチナ問題を抱えたイスラエルはパレスチナ人のインティファーダ、ヒズボラ(レバノン過激派)、ハマス(ガザ地域などの過激派)の激しいテロの対象。繰り返されるパレスチナ和平交渉も、互いの疑心暗鬼、脅威、憎しみ、怨念の応酬で、成果あがらず。
2. 古代イスラエルの建国とユダヤ教
(1)唯一神と救世主(メサイア)そして選民思想
  • BC13世紀頃、飢饉?のカナンを逃れてエジプトに避難
  • ファラオ時代のエジプト、奴隷の苦難
  • 万物の創造主たる神が、やがてメサイアを遣わして、ユダヤ人を救済。救世主(メサイア)。メサイアが救うのはユダヤ人だけ(選民思想)。後にユダヤ人が忌み嫌われることになった一因?
(2)Exodus(大脱出)
  • 超人能力をもち奇跡を起こすモーゼがユダヤ奴隷達を救出。紅海が割れて対岸に渡ったというExodusの逸話(神話?)。
  • モーゼは救世主ではなく、神の使徒。
  • 紅海を渡ったユダヤ人達はすぐには故郷カナン(パレスティナ)にもどって建国に従事せず、奴隷の経験のない世代が育つまで待ったという。
(3)カナン(パレスチナ)の土地に建国
  • 紀元前1000年頃、ダビデ王が建設 その子、ソロモン王、全盛期
  • バビロニアの侵攻に破れ、メソポタミヤでバビロン捕囚。50年後にキュロス王が救済。
  • エルサレム神殿再興(ヘロデ王)
  • 70年、ローマ軍によって滅ぼされた。
  • 神殿は陥落。西の壁」だけ残る → 「嘆きの壁」神殿の東の丘、今はイスラムの金色のモスク「岩のドーム」岩のドームの西。坂道、イエスが十字架を背負って刑場ゴルゴダの丘へ歩かされた。坂を登ると、「聖墳墓教会」
    (4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌスが建設。皇帝の母ヘレナ皇后がエルサレムを訪問、ゴルゴダの丘の十字架跡を発見。そこの教会建立を決めたとされる)
3. Diasporaと迫害の歴史
(1)ローマ帝国による抹殺

 AD72年、マサダ砦の陥落(3万人のローマ兵に包囲され、最後の200人が自殺)、を最後にイスラエルは地上から抹殺。以後、1800年にわたる流浪(Diaspora)の運命。イスラエル地域からユダヤ人が完全に消えたわけではない。

(2)土地からの断絶:金融、科学、芸術
(3)同化の努力も無駄
4. 現イスラエルの建国と近隣との葛藤
(1)シオニズムとパレスチナ入植
  • 建国の父:テオドール・ヘルツル
    オーストリアの新聞記者
    1860年 ハプスブルグ帝国のハンガリー・ブダペストに生まれた。
    裕福な育ち。ウィーン大学法学部に入学、一家もウィーンに移住。
    国際都市。近所に高名な文化人、芸術家も若い頃はドイツ民族主義に傾倒、同化せずに私利私欲を追求するユダヤ人にむしろ批判的だった。
    フランスのドレフュス事件を目撃して「同化によるユダヤ人問題解決」が不可能と確信。
    ドレフュス事件:ユダヤ人のフランス陸軍大尉がスパイ容疑のえん罪で有罪、島流し。フランス革命後人権宣言を唱え、ユダヤ人解放がもっとも進んだとされた国でさえユダヤ差別!どんなに同化に努力してもユダヤ人への憎悪と差別は広がる一方。
    35歳「ユダヤ人国家」発表
    「ユダヤ人問題の解決はユダヤ人が独自の国家をつくる以外にない」
  • 1897年、第1回シオニスト会議(スイスバーゼル)
     ユダヤ人富裕層は国家建設には否定的
     ロシア、東欧の貧しいユダヤ人が関心。
     ポグロムに苦しみ、パレスチナ開拓移民に希望。
     ー候補地、アルゼンチン
      ユダヤ人大富豪モリス・ド・ヒルシュ男爵
      6000人入植支援、しかし国家建設は否定

     ーJoseph Chemberlain 植民地相に打診「ウガンダ案」提示、
      1903年第六回シオニスト会議(バーゼル)激論の末採択。
      ポグロムに苦しむロシアユダヤ人など救済を急ぐ気持ちも
      1904年、シオニスト会議はアフリカに調査団派遣
      1905年シオニスト会議、調査団報告書にもとづいて討議
      「ウガンダ案」否決。
      パレスチナに国家建設の方向性確定

     ーヘルツル、1904年死去、44歳
     ーユダヤ民族基金。
      1901年第5回シオニスト会議で、世界シオニスト機構、
       パレスチナの土地購入の機関として「ユダヤ民族基金」設立。
       世界中のユダヤ人から募金、植林運動も。
  • シオニスト
     政治的シオニスト:ヘルツルら。
      スローガン:”土地なき民に、民なき土地を”をアピール。
     実践的シオニスト:パレスチナ移民、入植、農業、キプツ 労働シオニズム、社会主義シオニズム
(2)第一次世界大戦
  • − 三国協商(英、仏、ロシア)
  • − 三国同盟(ドイツ、オーストリア+ハンガリー、イタリア)+オスマン帝国
    英国はシオニストを利用することが戦争遂行上、有益と判断。
    シオニスト支援が欧米在住のユダヤ人の協力得られるとの打算。  ・英国の3枚舌外交:混乱のもと。
    • ユダヤ人にはパレスチナで国家建設を
    • アラブ人には独立を
    • フランスとは中東分割密約
  • − 1916年、ロイド・ジョージ内閣(親シオニスト)
     バルフォア外相入閣(親英国際派:ヴァイツマンの知己)
     1917年アメリカ、協商側で参戦
     英もパレスチナ進軍。
     英は、フランス・ロシアとのサイクス・ピコ密約(1916年6月、パレスチナを国際共同管理下に置く)を事実上、反古にしてユダヤ国家実現というシオニストの願望実現支援を口実にパレスチナの軍事占領という既成事実実現。

    英は、T・E ロレンスを送り込み、ムハンムド直系子孫のハーシム家のシャリーフ・フサインに協商側にたってオスマン帝国に対し、大反乱を起こすよう画策。英はしかし、エジプト高等弁務官マクマホンとシャリーフ・フサインとの間に、フサイン=マクマホン書簡(1915.7〜1916・1)を交換、フサインの参戦の見返りにアラブ国家独立も約束していた。
  • − バルフォア宣言
    1917年11月2日、バルフォアのロスチャイルド宛書簡
    「英国はユダヤ人のための民族的強度をパレスチナに建設支援。
    パレスチナにおける非ユダヤ人の市民的、宗教的諸権利
    他のあらゆる国のユダヤ人が享受している諸権利と政治的地位の保障」
  • − 1920年4月、大戦後戦勝国会議(イタリー、サンレモ)
    バルフォア宣言を、敗戦国オスマンとの講話条件に組み入れるとしてシオニストの主張承認。
    大シリア地域を英仏で分割。大シリア南部のパレスチナは英の委任統治。
  • − 1922年6月、ウィンストン・チャーチル植民地相「パレスチナ白書」
    パレスチナ委任統治の基本枠組み提示。
    1922年7月、委任統治は国際連盟で正式承認。
    → バルフォア宣言は国際的に承認。
(3)パレスチナ入植
  • ダビド・ベングリオン
     ロシア領ポーランド出身、シオニスト労働党率いて、農場開拓。
    ー1886年、旧ロシア帝国領 ブロンスクで生まれ
     18歳でワルシャワへ、「シオンの労働者たち(マルクス運動)」加入。
     20歳(1906年)パレスチナへ。第二波移民。ロシアではポグロムの嵐
     欧州からユダヤ移民本格化(祖国建設の夢えがき)
    ー委任統治期、ベングリオンは1920〜35年まで
     ヒスタルード(労働総同盟)総書記、パレスチナユダヤ人労働運動の指導者。
  • 大戦間期のパレスチナへのユダヤ移民の波:第3〜5波
    第三波:1919〜23。3.5万人、ロシア、ポーランド
    第四波:1924〜32。8.8万人、主にポーランド、中間層
    第五波:1933〜39。21.5万人。ナチス政権成立1933年後、非合法含め。

    1937年 英国の3分割案
     パレスチナをユダヤ国家、アラブ国家、英国委任統治地区
     アラブの反対で頓挫
    1939年: ユダヤ人とアラブ人が共同統治する新国家樹立案
     急増するユダヤ人口に歯止めのため、移民制限。
  • 「マクドナルド白書」植民地相の白書 1939年5月17日
    ユダヤ人移民を向こう5年間 7.5万人に制限
    パレスチナのアラブ人の土地をユダヤ人に売却禁止。
    バルフォア宣言の事実上の撤回!

    ユダヤ人の激しい反発、国家建設悲願の否定にも。
    反英的姿勢硬化、
    1942年5月、NYのビルトモアホテル「ビルとモア綱領」
    ユダヤ人共和国建設の方針決定

    1946年:ユダヤ民兵組織 エルサレム英軍司令部のあった
     King David Hotelを爆破 91人死亡。
     英政府は自力解決を断念。
    1947年2月、国際連合(発足2年目)にパレスチナ問題解決委ねた(丸投げ)
(4)国連決議とイスラエル建国
  • 1947年11月 「国連総会決議 181号」分割案。米国、ソ連ほか多数賛成。
    • - 英統治地域をユダヤ国家とアラブ国家に分割。
        エルサレムを国連の管理下に置く
        歴史上はじめて、ユダヤ国家に国際法上のお墨付き
        しかしその後の紛争の発端
        決議直後からアラブの攻撃、シリアで訓練されたアラブ解放軍
        ユダヤも対抗 双方1700人死者
    • - ベングリオンは、エルサレムを確保 領土拡大の好機?
        ユダヤ民兵(後の国軍)、アラブ住民の多いハイファ、ヤファ制圧
        アラブ住民をテロで追い出す
        1948年4月、ディルヤスーン村(エルサレム郊外)無差別殺戮
        ベギン率いる修正主義シオニストの軍事組織イルグン軍のしわざ
        村民200人以上虐殺、生存者見せしめ引き回し恐怖でアラブ住民が逃避、パレスチナ難民問題の発端
  • 1948年5月14日 イスラエル建国宣言、英軍パレスチナ撤退を機に。
      ベングリオン、テルアビブ博物館、ヘルツル肖像を背景。
      独立宣言:イスラエルはユダヤ国家と同時に民主国家と規定。
(5)第一次中東戦争とパレスチナ難民。
  • 建国宣言の直後、アラブ諸国軍23000人の攻撃
      (エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラク)
       エジプト軍、1万人、ヨルダン:4500人、イラク3000人
       シリア2000人、アラブ諸国義勇軍2000人、レバノン1000人

    イスラエル側、兵力、軍事力で上回る
      ハガナ軍3.5万人、イルグン軍など3000人、武装入植者数千人
      イスラエル軍も6000人死亡(人口の1%)→ 1949年停戦

    ー国連決議の領土を20%拡大支配
     エルサレムの西半分制圧(国連管理になるはず。東はヨルダン制圧)
      人口65万のイスラエル、総人口6000万人のアラブ諸国を押し返し。
      開戦時3万人の兵士 → 停戦時には10万人に。
      イスラエル、兵力、軍事力、訓練、指揮命令系統、士気で勝る。
      ユダヤ人口流入、数年後には140万人に。
  • パレスチナ難民の発生
    第一段階:1947年11月パレスチナ分割決議案から48年3月ダーレト計画
     事実上の内戦状態、上層、中間層の非難
    第二段階:194年4月シオニスト軍事攻勢から6月の停戦まで
     下層民や農民がパニックから離散。
    第三段階:1948年7月9日停戦終了後の10日間
    第四段階:1948年10〜11月
      軍事境界線住民の移送と追放
    第二次停戦後にはすでに50万人の避難民発生
    ベングリオンはアメリカなどの仲裁にも拘らず、難民帰還を拒否。
(6)ホロコーストのトラウマ

ホロコースト犠牲者、生存者に対して消極的に死に追いやられたとして区別
ワルシャワ・ゲットーで蜂起した英雄的行為はシオニズムの大義から顕彰。
ーユダヤ人ゲットー蜂起事件記念館(ハイファ)
「抵抗もできないまま、ガス室に送られる弱者には二度とならない」
・1946〜48年、月平均2000人、合計7万人のホロコースト生存者がパレスチナへ1948年5月から1951年末までに35万人。

(7)10年毎の中東戦争
  • 第二次中東戦争:1956年スエズ戦争、シナイ戦争
     ナセル大統領のスエズ国有化宣言を契機。
  • 第三次中東戦争:1967年5月22日、ナセル大統領のティラン海峡封鎖宣言に発端。
      イスラエル: 1967年6月5日、
        アラブ諸国の空軍機破壊して制空権、陸上戦へ。
        対エジプト戦線、ガザ地区占領下、3ルートからシナイ半島攻略、
         7日には半島全域占領
        対ヨルダン:6日までにエルサレム旧市街、8日までにエリコ含む
         ヨルダン川西岸全域制圧
          → 「嘆きの壁」を管理下に置いたことは重要。
        対シリア:ゴラン高原激戦、10日までに全域制圧。
      → 結果:イスラエル領土は戦前の4倍に。
  • 第四次中東戦争:
       1973年10月6日
        ヨーム・キップール(贖罪の日)の午後2時、
        エジプトとシリアは同時にイスラエルに電撃作戦
        虚をつかれたイスラエルは受け身。何とか挽回。
  • 入植地の建設
  • 和平交渉
    • 1977年11月、サダート大統領のエルサレム訪問
       アラブvsイスラエル紛争の解決への糸口
    • 1978年9月、カーター大統領
       キャンプデービッド合意(12日間交渉)
        ー中東和平合意
        ーイスラエル・エジプト平和条約
    • 1981年6月7日
       オシラク原子炉施設空爆破壊
    • レバノン侵攻
       1982年6月6日
       同年9月17日
        西ベイルートサブラーシャーティーラーパレスチナ難民キャンプ
        PLOが去って無防備なキャンプをファランジスト民兵が急襲。
        460人以上の難民を虐殺。
       レバノン戦争はイスラエル国内に戦闘の正当性をめぐって国論分割。
    • 1990年8月 湾岸戦争。
       イラクからイスラエルにスカッドミサイル打ち込み
    • 1991年10月:マドリード中東和平会議
       ジェームズ・ベーカー国務長官のシャトル外交
    • オスロ合意:1993年9月
       クリントン大統領の仲介
       PLOと「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」調印
        アラファト議長とラビン首相、ペレス外相
       相互の交渉相手として存在を承認。
    • 1995年11月4日
       ラビン首相暗殺、イガール・アミールユダヤ青年確信犯
    • 1996年5月
       ベンジャミン・ナタニエフ(リクード党首)政権誕生
       はじめての首相公選。
       ナタニエフ:1949年テルアビブ生まれ。
       イスラエル国家で生まれたはじめての首相。
    • 2006年7月11日
       オルメルト政権発足後、3ヶ月。突然レバノン空爆。
       ヒズボーラがイスラエル兵2名を拉致した理由。
       空爆につづく地上戦展開。国連の勧告で停戦受け入れざるを得ず → 敗北。
5. アメリカの対応
(1)12人の大統領(トルーマンからオバマまで)
  • トルーマン〜ジョンソン(4人)普通の同盟国
     トルーマンは1947年の国連総会決議181号
       (パレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に2分割)
       から1948年の建国宣言まで深くかかわり。
       マーシャルの反対を押し切って建国承認
       「私はキュロス(バビロニアの虜囚となっていたユダヤ人を
        バビロニアを滅ぼして開放したペルシャ王)の役割だった」
  • アイゼンハウアーはイスラエルに厳しかった。
     ソ連を警戒し、親米イスラム諸国の結束に注力のため。
  • ケネディ、ジョンソンは親イスラエル
     「迫害に耐え、自由を獲得、建国」に感銘
  • ジョンソン、イスラエル、エシュコル首相をはじめて公式訪米
     武器:M48戦車、スカイホーク攻撃機売却
     ー1967年第三次中東戦争でイスラエル大勝
       (エジプト、シリア、ヨルダンを6日間で撃破)
       中東冷戦戦略の要と位置づけ
  • ニクソン以降、別格の関係
     ニクソン政権、ヘンリー・キッシンジャー(ユダヤ系)入閣
  • 1973年第四次中東戦争はさらなる転機。
     イスラエルは劣勢。アメリカは武器空輸。
     74年イスラエル援助は前年5倍の29億ドル。
  • カーター:中東和平の後見役のはじまり。
     1978年:キャンプ・デービッドにエジプト、イスラエル首脳。
     ヨルダン川西岸とガザ地区で「パレスチナ人の自治」明記。
     1979年イランのイスラム革命、パーレビ政権崩壊
      イスラエルの重要性増す。
  • レーガン(1981〜)
     イスラエルは中東における「戦略的資産」
     援助は30億ドル突破、
     レバノン侵攻撤退国連勧告などに”拒否権”発動。
  • ブッシュ父政権
     一時冷却、湾岸危機、フセインイラク政権に対抗するため
     サウジなどアラブ諸国の支持必要
     入植団地建設に信用凍結。
     1991年マドリード中東和平会議
     アメリカ国内ユダヤ人から批判と攻撃
  • クリントン、ブッシュ時代:米外交の基軸に。
     冷戦終結し、イスラエルの冷戦時代の戦略的役割終わったが
     関係は一層緊密化。
     2001年同時テロ以降、「中東で自由、民主主義、テロとの闘い」を共有できる唯一の国。
     クリントン政権:ルービン財務長官、コーエン国防長官などユダヤ系
     入植団地建設支持(米国の伝統を超える)
  • ブッシュ:対テロ戦争、ネオコン重用。
     ヨルダン川西岸入植地2008年末に28万人(1992年は10万)
(2)イスラエル・ロビー
  • アメリカのユダヤ人口:650万人?
  • イスラエル・ロビー
     米国主要ユダヤ人団体代表者会議(CPMAJO)
     とりわけ、AIPAC
      1951年創立:初代会長、イザヤ・ケネン(ジャーナリスト)
      援助獲得、供給活動
       政治家へのロビー 「イスラエルを視察させるのが効果的」
  • イスラエル建国から2009年までの61年間
     アメリカの経済・軍事援助は1062億ドル。最近30年間の年平均は約30億ドル年間対外援助の1割を超える。
  • アメリカの約40団体から、過去10年間に、2億ドル以上が入植地に寄付。
  • アメリカ、キリスト教シオニスト
     旧約聖書「神がユダヤ人の父祖アブラハムに『あなたの子孫にこの土地(カナンの地)を与える告げた」記述にもとづきユダヤ人の聖地帰還を支持。キリスト教徒は歴史的にユダヤ人を迫害してきたが、シオニスト達は、ハルマゲドン(聖地に帰還したユダヤ人に敵対大軍団が攻め入る世界最終戦争。イスラエル建国とアラブとの闘いは、聖書の予言の踏襲と見る。キリスト教シオニズムは19世紀に英国でひろまり、20世紀にアメリカに伝播。1967年第三次中東戦争で浸透。聖書の物語りと二重写しに。巨人ゴリアテを倒した羊飼い少年ダビデと映る。
6. 強烈な安全保障観
(1)自分を守る者は自分しかいない
  • ホローコーストのトラウマ
  • イラク空爆そしてイランも?
  • 核武装
    • メナヘム・ベギン首相(1977〜1983)
      1946年英軍エルサレム司令部爆破の指導者
      1978年エジプト、サダト大統領とともにノーベル平和賞
      1981年、イラクのオシラク原子炉を奇襲攻撃の功績
      サダム・フセイン核兵器保有計画を阻止
    • シモン・ペレス大統領(2010年現在)
      1993年外相としてオスロ合意実現
      1953年、33歳、国防次官に抜擢(民兵組織で武器調達の実績買われ)
      フランスで武器調達に成功
       1955年ウーラガン、ミステール、ミラージュ戦闘機獲得
      ー核開発:
         1956年:ナセル大統領のスエズ運河国営化阻止のため
         フランスはイスラエルに英国と組んでエジプト攻撃のシナリオ
         イスラエルはその見返りに核協力の密約
         原子炉建設、燃料用ウラン供与、技術協力 → 1957年に正式合意
         イスラエル南部、ディモナで原子炉建設

       ー米国の警告をかわしつつ推進
          アイゼンハウアー研究用原子炉供与、しかし核開発厳禁
          ケネディ、ジョンソン 疑惑もち核査察要求。
          イスラエル 言い逃れつつ推進。
          ニクソン、追認、ソ連圏アラブの防波堤のねらい

        ーフランス、ドゴール核疑惑に激怒、協力停止、
          1960年代半ば技師団引き揚げ、第3次中東戦争機に武器禁輸

       ーしかしイスラエルは自力開発の実力。
          第4次中東戦争時、苦境で核使用も考慮?

        ー1986年10月、ディモナの元技師、モルデハイ・バヌヌ
          英サンデータイムズ紙上、持ち出した各施設の写真公開。
          200個以上の核爆弾製造済みとの推論、
           バヌヌ氏はモサドがロンドンで拉致、18年拘留。
(2)ハリネズミ国家
  • 800kmの壁
    • パレスチナテロを防ぐため。
    • ヨルダン川西岸パレスチナ人の生活圏隔離と破壊
  • 隠密特殊部隊
    • 情報機関「モサド」
       ”やられる前にやる”秘密対外諜報機関
      ー1970年代、イスラム過激派の暗殺陸続。テロを未然に防ぐと正当化
      ー2010年1月、ドバイの高級ホテルでハマス(イスラム原理主義組織)
       司令官暗殺。外国からの武器密輸のキイパーソン
       室内で薬物注射、気絶後、枕に押し付けられて窒息死
      ー1960年、ナチス親衛隊将校、アドルフ・アイヒマン捕獲作戦で一躍注目。アルゼンチンに潜伏中、拉致。死刑判決。
    • 情報機関
      ーモサド
      ー軍事情報部アマン
      ー対内情報機関 シン・ベト
      ・北朝鮮のミサイル輸出
       モサド、阻止に動いたが成功せず。
        米国接触と資金提供を餌に阻止を働きかけたが失敗。
7. めざましい経済発展
(1)荒野に生えた驚異の成長力

ー乾いた大地に置かれた雑草のタネ
ー30年で欧米にならぶ所得水準

(2)人財力の結晶

ー知力
 ・金融、科学、芸術に発露
ー危機意識
 ・存続かけた戦争脅威の連続
ー団結力
 ・兵役体験、国民皆兵

8. 多民族国家イスラエルのこれから
  • “純正”ユダヤ人は少数派
    ーアシュケナジーム:ドイツ系ユダヤ人
      スファラディーム:スペイン系ユダヤ人
      ミズラヒーム:中東イスラーム世界出身ユダヤ人 → 増加急。
    ー1990年代:湾岸危機、湾岸戦争をはさんで旧ソ連から約100万人移住。
    ーイスラエルの中のパレスチナ人
    ーパレスチナ人出稼ぎ労働者:
      ヨルダン川西岸とガザからの出稼ぎ労働者パレスチナ人。
  • 地域国家でなく世界国家を志向?
    ー足下の怨念と紛争を超えて?
    ー情報化、グローバル化時代の必然?
    ーイスラエルはアジアの一員(Neumann教授)
    ー紛争のタネは消えない?

Ⅴ. 世界史の縦糸イスラエルの研究から何を学ぶか

  • 宗教 → ディアスポラ → シオニズム
  • 国際環境:地政学、軍事力学、先制攻撃
  • 自らを守る知恵と力
  • 日本:神の国、島国の隔絶、深い文化
  • 鎖国から開国
  • 戦後日本の特殊性:アメリカ帝国のくびき
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